九州の南、鹿児島県の霊峰冠岳より焼き立ての天然酵母ベーグルをお届けします☆





冠嶽

薩南屈指の霊峰「冠嶽(かんむりだけ)」は、 遥か中国へと続く東シナ海に面した町、 鹿児島県いちき串木野市に聳える連山の総称です。 この内、特に秀逸な三山を東嶽、中嶽、西嶽といい、 冠嶽三山として昔より人々の崇敬を集めて来ました。   三山の内もっとも高い西嶽の標高は五一六メートル、 連なる山々を従えて堂々と方形の山頂を天に聳え立たせています。四角い巨岩を頂く西嶽の姿を以て、人々はこの山を 『冠嶽』と呼ぶようになりました。 また一説には今から二二〇〇年もの昔、秦の始皇帝の命を受け 不老不死の妙薬を求め蓬莱を目指した徐福がその冠を この山に留めたところから『冠嶽』の名を得たともいわれています。そして、その後千三百有余年にわたり、南九州山岳仏教の中心地として人々の崇拝をあつめてきました。薩南の人々の精神的故郷ともいえるような霊山が『冠嶽』です。


歩きへんろ


冠嶽には「冠嶽八十八ヶ所 歩き遍路」があります。その 全長は約60キロメートル。冠嶽の霊峰、麓の里など、様々なところにお祀りしてある八十八のお社を巡りながら、佛様、神様、お大師様を身近に感じつつ歩くお遍路です。三泊四日ほどの時間をかけて巡拝します。 元々この辺りには何百年もの間、拝まれてきた歴史あるお社や塚がありました。そして、豊かな自然もたくさん残っており、様々な薬草も自生しています。(徐福が探し求めたと伝わる不老不死の妙薬の伝説以来、様々な薬草が自生しています)また、多くの動物達も昔のままに住んでいます。この豊かな自然の中を白装束を身につけ、金剛杖を持ちながら、お大師様と常に同行二人で八十八の仏様をお参りして歩くお遍路です。




日本一の徐福像

今から二千二百余年の昔、秦の始皇帝の命により不老不死の仙薬を求めて蓬莱を目指した徐福以下三千余の勇士は、東支那海を横断し、遂に我が国に到達しました。 徐福は当山にその冠をとどめ帰国を断念したが故に、冠嶽山の名を得たといいます。 稲作や五穀を将来したといわれる徐福は、我国黎明期の大恩の人です。ここ冠嶽には日本一の徐福像が建っています。











冠嶽山 鎮国寺頂峯院


冠嶽(かんむりだけ)は、秦の徐福来山以降二千年余の歴史を有する薩摩屈指の霊山です。 用明天皇 (聖徳太子御父君)の御代、蘇我馬子は勅願により紀州熊野権現を当山に勧請し、その別当寺として興隆寺を建立しました。 平安時代、阿子丸仙人が天台宗となし、室町時代勅を受け名僧宗寿法印が京都東寺より下るに及んで、真言宗鎭國寺頂峯院(ちんごくじ ちょうぼいん)と改められました。 藩主島津家歴代の信仰も厚く、寺運は大いに高まった方と伝えられますが、明治の廃佛毀釈以後その全容を知ることは困難となっていました。 昭和五十八年、現山主村井宏彰師が入山。 山麓に結ばれた葉衣菴に百年ぶりに法灯が灯されました。 同六十一年には宗教法人として認可。 平成元年大師堂が落慶し、その後黄不動堂、熊野薬師堂、庫裡と漸次建立され現在に至っております。

このお寺によって「冠嶽八十八ヶ所」は建立されました。「冠嶽山鎮国寺頂峯院」のホームページは画像をクリックして下さい。